979707 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Selfishly

Selfishly

久遠の輪舞(後編)act6


・・・・・『 久遠の輪舞・後編 』act6 ・・・・・




 ~ Mercury ~ 《翼のある使者》





 

 いつまでも変わらぬ物、変動しない流れ、進化、成長の無い生き物達など、この世に1つとしてない。
 麗しい造形物も、時と共に輝きを落としくすんで風化するし。
 日々同じ繰り返しのような毎日も、気づかぬ処で、刻一刻と変わっている。
 人も、生き物も、植物も、昨日と同じ姿では有り得ない。
 それは成長であったり、老いもまた進化の1つと考えるなら、生き物は全て育っていくのだから。
 それに気づかぬ者と、気づく者の差は、日々を漫然と生きながらえているのか、
 転機を待ち望んで生きているか…その差だろう。



「あれ?」
 午後の授業の後、いつもどうり辞書の編集にかかる準備をする為に、先に部屋を移動してきたエドワードが、
 引き出しの鍵を開けて怪訝そうに首を捻る。
「どうしたの、兄さん?」
 一緒に来ていたアルフォンスが、動きの止まったエドワードに気づいて訊ねてくる。
「いや…。お前さ、ここ開けたっけ?」
 中に入っている原稿やら、資料、下書きを取り出しながら、先ほど浮かんだ疑問を口にする。
「僕が? ううん、開けてないけど? だって、鍵は兄さんが持ってたでしょ?」
 変な事を聞いてくる兄だと言うように、アルフォンスが当然の答えを返してくる。
「そうだよな。ここの鍵は俺が預ってるもんな」
 思い違いだろうと答えを付けて、取り出して紙の束をアルフォンスに手渡していく。
 この部屋と、原稿などが入っている引き出しには、皇帝からの要請と言う事もあり、厳重に鍵がかかっている。
 その鍵を持つのは、リンから直接手渡されたエドワードと、部屋の元持ち主のリンだけだ。
 だから、引き出しに仕舞った原稿が、入れた時と違っていると思ったのは、エドワードの思い違いなのだろうと。

 



「遅くなったな」
 辞書作成に熱中し過ぎて、皆に引き上げて貰ってからも残っていたエドワードは、
 アルフォンスが待っている後宮の中の離れの宮へと足を速めていた。いつもなら回廊を通って帰るのだが、
 その日は人気の無くなった夜の中庭伝いに戻って行く。
 皇宮、後宮内なら何処へ行くのも構わないと言われてはいるが、実際エドワードが出歩くのは、
 自分たち兄弟が住む宮と、授業の部屋に辞書作成に与えられた執務室が殆どだ。来た当初の頃こそは、
 物珍しさから探索だと銘打って、歩き回ったりもしたが、厳重な警護人達の間をちょろちょろと
 動き回る気詰まりや、何処に行っても恭しく扱われる煩わしさから、大体の把握が出来たところで止めにした。
 だから中庭を通っていくのも珍しい。頭の中にある地図を浮かべて、広い庭を突っ切って行く。
 美しく整えられた庭も裏手にかかる頃になると、煩雑とした感が否めない。
 ここら辺は、皇宮でも下働きの者達の居住区になっているからだろう。
 暗い庭に反して、中ではまだ多くの人々が立ち働いているのか、それとも遅くの夕餉の時間なのか、
 細々とした明かりが灯されている。表の絢爛さとは違った慎ましやかさは、
 田舎で育ったエドワードには親近感が持ちやすい。
 それを横目に通り過ぎようとした時、視界に入った人影に思わず視線が止まる。
『マー夫人?』
 回廊の隅で立ち話をしている人が、見知りの顔だった事に驚くが、考えてみれば彼女は元々
 皇宮で働いていたのだから、おかしな事でもないだろう。
 そう思ってみるが、足が思わず止まってしまったのは、彼女が話し込んでいる相手達の風貌が、
 周囲から浮いているせいだろう。質素な下働きの人々の服装と違って、華美な服は階級が高い証拠だ。
 そして彼女の横で熱心に話し込んでいるのは、厨房の長なのか、白い前掛けをしている。
 何事かを真剣に話している様子を暫く眺めていたが、待ちくたびれているだろうアルフォンスを思い出して、
 先へと進んでその場を去った。


「悪い、遅くなった!」
 慌しく部屋に入って来たエドワードに、アルフォンスは慣れたもので、苦笑を返して了承の頷きを示す。
「僕は別にいいけど、マー夫妻には悪いから先に帰って貰ったよ」
 皇宮内ではなく、市街から通いで来ている二人を思っての事だろう。
「ああ、俺が遅いときはそうして貰ってくれ。待って貰うのは気が引けるからさ」
「うん。多分、兄さんはそう言うだろうと思って、挨拶して帰るって言ってたのを断って帰したんだ」
 そう話しながら、食事がまだのエドワードの準備を整えてやる。
 シン国の料理は、文化が長いせいか鮮麗され、非常に美味しい料理が多い。見た事も食べた事もない料理でも、
 食べてみれば意外にエドワード達の口にも合う。時たま、食材に驚かされる物や、
 独特の香辛料が合わない事はあったが、総じて美味しく、困る事はなかった。
 昔の頃のように、大喰らいではなくなったエドワードには、毎回出される料理の数の多さに閉口させられたが、
 マー婦人に話して品数を減らして貰った。この国では、食べれる量ではなく、絢爛に並べられた食事の中から、
 気に入った物を食べるのが上の食事方法らしいから、最初は渋い表情をされたが、
 勿体無いと訴える兄弟に根負けして、量より質を追及することで納得してくれた。

「マー夫人なら、皇宮の方で見たぜ」
「皇宮で?」
「ああ。皇宮っても、下働きの人達の居住区に近い回廊でだけどな。
 何か熱心に人と話していたから、声は掛けてない」
 箸で料理を挟むと、ぽいっと口に放り込みながら話す。
 箸の使い方も、大分と堂に入ってきた。
「ふーん。昔の知り合いとかに逢ってたのかな?」
 素朴なアルフォンスの疑問に、動かしていた箸が止まる。
「兄さん? 料理、口に合わなかった?」
 そう窺ってくるアルフォンスに、いいやと首を小さく振って答える。
「そうじゃなくて…。何か高官ぽい人達と話してた」
「高官? じゃあ、仕事の打ち合わせとかかな?」
「打ち合わせ…。そっか、そうかもな」
 それ以上気にするような事とも思えず、二人の会話は辞書編集や授業の話へと移っていく。




 些細な変化は、最初は日常に紛れ込んで気が付きにくい。
 が、少しずつ混じり込んでくる変化も、その度が増えれば察するものも出てくるものだ。




「アメトリス風の料理?」
 朝食の時に給仕をしてくれているマー夫人からの申し出に、二人は同じように驚き返す。
「はい、そうでございます。お二人にはここに来られてから、こちらのお料理ばかりを
 お召し上がり頂いて貰っておりましたが、たまには故郷のお料理もお召し上がりになりたいのではと、
 主人とも話しておりました」
 リンの乳母をしていたと言うマー夫人と夫の二人は、兄弟2人が異国の出自なのを知っている数少ない人間だ。
 それだけ、リンからの信頼が厚いのだろう。
「でも、別に無理して作らなくても」
 夫人の好意を無下にしないようやんわりと、アルフォンスが断りを入れようとする。
「いいえ、別に無理をするわけではございません。私共で出来る物があれば、茶濁し程度ではありますが、
 作らせて頂きたいのです」
 さすが、あのやんちゃなリンの乳母をしていただけあって、いつもの穏かな雰囲気とは別に、
 有無を言わせぬ押しの強さも兼ね備えている。
「気持ちは有り難いけど、やっぱり材料とか、調味料とかも全然違うしな…。
 ちょっと、ここでは難しいかもな」
 シン国は歴史を誇る大国として、東の果てで存在していたせいか、余り他国との交易が盛んではない。
 その為か、異国の物自体が入ってくるのも稀少で、食材などまず無いだろう。
 それも踏まえて、エドワード達が話してやると、酷く困った表情を見せてくる。
「別に無理してアメトリス風に作ろうとしなくても、ここの国の料理でも、
 十分口に合うのはあるし、美味しいぜ?」
 そうエドワードが慰めるように話すと、夫人は頷きながら視線を向けてくる。
「そうでございますか…。なら、お2人がここに来られてから、お口に合わなかったお料理や、
 お飲み物がございましたらお教え頂けますか?」
 熱心な夫人の頼みに、兄弟2人が思い出しながら話してやる。
 まずは、箸に困った事。今は食べれるようになったが、最初は食べにくかった物。
 匂いが強すぎる物で、無理だった物。
 食べて美味しいと思った物。食用で食べれる肉類と敬遠しそうな肉類等。
 そんな2人の雑談を交えた話を、夫人は熱心に聞いてくれた。

 最後にアルフォンスが。
「でも、本当に気にしないで下さいね。僕ら結構、何でも食べれる方なんで」
 と言い終えると、夫人は微笑みながら静かに頭を下げて、部屋を出て行った。

 夫人が出て行った後、兄弟2人で頭を傾げる。
 互いの思いは同じで、『何で今更?』と訝るものだった。






『やっぱ、妙だな…』
 今日も引き出しを開けながら、エドワードはそんな事を思い浮かべる。
 1度や2度なら、勘違い、思い違いで済ませられるが、それが頻繁になってくれば、
 そこに他意がある事を感じずにはいられない。
 ーーー 1度、リンに確認してみるか…ーーー
 ここ最近、まともに話す時間も無く、慌しく挨拶だけして顔を見るだけだった友人の事を思い出す。
 彼なら、ここの鍵を使って開けても可笑しくは無い…のだが。




「今日もお疲れ様でした」
 口々に挨拶をしながら、皆が去っていく。
 エドワードとアルフォンスも、今日はこれでお終いと決めて、後宮への道を戻っていく途中。
「しまった! 持ち帰ろうっていってたメモ書きを、一緒に置いてきた」
 エドワードの言葉に、アルフォンスが笑って答える。
「珍しいね、兄さんが興味ある物忘れてくるなんて。
 じゃあ、取りに戻る?」
 引き返そうと立ち止まったアルフォンスに、先に戻っててくれと伝えて、1人戻ってきた道を返って行く。
 無言で恭しく礼をしてくる衛兵の前を何人も過ぎ、回廊を曲がれば後少しの処で、
 曲がろうとして出た身体を隠すように戻したのには理由があった。
 エドワードの視線の先で、門衛と親しげに話しているのは、最近入って来たエドワードの生徒のラオだ。
 そして…、鍵を開けて、部屋へと入っていく…。
 それを見届けて、エドワードは忘れ物の事等頭から消し、急ぎアルフォンスの待つ後宮へと帰っていく。
 戻りながら、ここ最近の妙な事柄を思い浮かべていく。
 それら自体は個別で考えれば、対した事ではない。
 だから、逆に日常に埋没してしまっていたし、気にも留めてなかった。
 けど、妙だな・変だなと思ったのは、どこかしら自分の勘に引っ掛かるものがあったからだ。
 普通なら、それを関連付けては考えないだろう。
 が、エドワード達は過去に、悲願を成就させる為に、ありとあらゆる事柄から、
 自分達の進むべき道を模索し続けていた。その時に鍛えられた勘が、動き出している何かを告げているのだ。




 思ったより早くに戻ってきた兄が、真剣な表情で話があると告げてきたので、
 驚きつつもアルフォンスは、兄が話し出した一連の出来事を聞いていく。

「兄さん…、兄さんの勘は昔っから良く当たるもんね。
 でも、それだけで都合よく考えすぎるのも、悪い癖だよ」
 アルフォンスの尤もな指摘に、エドワードも肩を竦めて認める。
「判ってる。妙なこと程度で、突き進むなって言うんだろ?」
「うん…、まあね…」
 アルフォンスは曖昧な表情で、エドワードの遠からずの納得に頷く。

 ーーー それだけじゃなくて、期待し過ぎないようにって事も含むんだけどね ーーー

 兄のエドワードは、ずっと待ち続けてきたのだ。
 特に言葉にもせず、態度にも表れないように気をつけてはいるが、片時も忘れた事など無いほどに。
 それが判るからこそ、早合点で望を抱いて欲しくない。
 叶わなかった時の辛さは、2人とも何度も身に染みてきたことだから。
 そんなアルフォンスの心中の願いに気づく事もなく、エドワードは考え事に没頭している。
 そして、短い間に、何か決めたのか、アルフォンスに視線を向けて、告げてきた。
「まずは、確認だな。
 取り合えず、相手が何をしてるのかを探るのが先だ」
 そう言って立ち上がると、唖然としているアルフォンスを置いて、出て行こうとする。
「ちょっ、兄さん! 何をするつもりなの」
 慌てるアルフォンスに、ちょっとだけ待ってろと声をかけて出て行き、暫くして戻ってくると、
 行くぞと声をかけて誘ってきた。
「何しに行ってたんだよ?」
 姿を眩ましたエドワードに詰め寄りながら、アルフォンスも遅れじと歩き出す。
「後宮の門衛の処」
「門衛?」
「そっ、忘れ物したから皇宮に戻るからってさ」
 その言葉に、暫し考えてから頷く。
「牽制にってわけ?」
「ああ。鉢合わせしてしまえば、逃げられる事や、相手の動きが掴みづらくなるだろうからな。
 とにかく、相手があの部屋で何をしているかの痕跡を探りたいだけだし」
「そっか、今から行く事を流しておけば、焦って部屋を出ようとするから、何か残してるかも知れないしね」
「そうそう。後を衝けるのは、それからだ」
 にやりと笑うエドワードの様子が、やけに愉しそうに見えるのが、アルフォンスには嬉しかった。
 大人しく待つ兄も、大人になったと感心もするが、やはり今のように行動する方が、兄らしいと思う。
 運命を相手に、願いを勝ち取ってきた自分達だ。いつまでも、待つだけでなく、期を見て動く事も必要だ。
 これが空振りだったとしても、この兄がへこたれる筈も無かったな、と思い直す。



 渡されている部屋へ続く最後の衛兵の姿が見えてくる。
 あちらもエドワード達の姿を認めると、お辞儀をしながら謝罪を告げてくる。
「誠に申しわけございません。お持ち出来れば良かったのですが」
「いや、別に気にしなくていいさ。部屋の鍵を俺が持ってるんだから、入れなくて当たり前だし。
 そう言えば、皇帝は勿論入れるんだろうけど、あの部屋にとか来ることあるのかな?」
 さりげないエドワードの質問に、門衛はとんでもないと言う風に首を横に振ると。
「皇帝はとてもお忙しい方でございます。わざわざ、足を運んで頂くなど、とても出来ません」
 エドワードが皇帝に使いをさせようと思っているとでも誤解したのか、慌てて否定してくる。
「という事は、あの部屋には俺以外は入れないんだ」
「はい、誰一人。ですので、お忘れ物をお持ちすることも叶わず」
 そう告げて、また深々とお辞儀をしてくる。
「いいって、いいって。忘れたのは、自分の責任なんだから、気にしないでくれよな」
 そう明るく告げてやり、目的の部屋へと入っていく。
 暗い室内に入ってみると、仄かに空気が温もっているが感じられる。シンでは明かりを取るのに、
 蝋燭を灯すから、僅かであっても、室内の空気が温もるのだ。
 エドワードはまずは、ゴミ箱を覗く。部屋を出る時に、ラオがまめに片付けて綺麗にしてくれているのが、
 今は中に丸められた紙が数枚放り込まれている。
「なぁ、引き出しから資料を出しといてくれよ」
 そう告げながら、アルフォンスに鍵を渡すと、エドワードは不自然にならない動きで、
 その近くに腰をかけて、アルフォンスがゆっくりと取り出し渡してくれている資料を、検分する振りを装う。
 その合間に、ゴミ箱の中の紙くずを取り上げ、素早く目を通して、記憶していく。
 シン語と、書き損じられたアメストリス語の綴り。
 それを見ていく内に、エドワードの表情が引き締まってくる。
「兄さん、必要な資料はあったぁ?」
 訊ねてくるアルフォンスの声で、見つめていた紙面から顔を上げる。
「ああ、これだこれだ。んじゃ、残りは持って帰ってやろうぜ」
 そう返事を返しながら、拾ったゴミ屑をまた丸めて、捨てておく。
 その後は何も変わった事がなかった様子で、部屋を出て歩きながら資料の話をし、
 門衛に挨拶をして通り過ぎる。
 
 少し離れ、周囲に人が居ない場所まで来ると、アルフォンスが待ち侘びたように聞いてくる。
「兄さん、どうだった? 何か発見できた?」
「しっ、戻ったら話す」
 それだけを告げて、足早に戻るといつもどおりにマー夫人の給仕で食事を終わらせ、
 彼らの帰りを待って自室へ入る。



「アル、念の為にシン語は使うなよ」
 そう告げておいてから、エドワードが見た物の話を始める。
「ゴミ箱の中の紙屑には、何度か書き直した文字があった。
 文字の内容は、『リスト・交換・人名・留学』そして、『親善と使者』だ」
「それって…」
 エドワードの言葉に、アルフォンスの表情も明るくなる。
「ああ…。その別の用紙には、こっちも人の名の、アメストリス語読みかな?みたいな単語が、
 書いたり消したりになってた。
 ラオは元々、皇宮に使える賢者の1人から推薦で飛び込みしてきた。
 もし、国家の親書とかの作成にその賢者が関わっているなら、ラオを使って調べているのかも知れない。
 それに、この前思っただろ?『今更、何で』って。あれも、もしかしたら、
 近々来る予定が決まってるのかも、知れない」

 だから、持て成す準備で必要だったのか。
「じゃあ、誰かがやって来るんだ!」
 笑みの深くなったアルフォンスの喜びの声に、エドワードは浮かない表情で、
「ああ」とだけ返し、沈黙する。
 そのエドワードの浮かない様子に、アルフォンスが不思議がる。
「どうしたの、兄さん? 嬉しくないわけ?」
 自分より、更に喜びを見せると思っていたエドワードが、黙してしまうのが解せないようだ。
「いや…、考えすぎかも知れないけど…さ。変じゃないか?
 もしそうなら、そんなまだるっこしい真似しなくても、俺らに頼むか、聞けば済む事だろ?」
「そう言えばそうだよね…。
 う~ん…、例えば驚かそうと思ってるとか?」
 悪戯好きなリンの事だ、有り得ない事ではない気がしてくる。
「馬~鹿。国単位の事だぞ。いくら悪ふざけが好きなあいつでも、
 そうそう浅慮な行動を取れるわけないだろ」
「そうか…。じゃあ…、何で兄さんに相談して来ないんだろう?まるで、
 知られるのを避けてるみたいに・・さ」
 そう話しながら、リンが兄に知られたくない理由を思い浮かべてみる。
 それを考えれば考えるほど、嫌な、不安な気持ちが滲んでくるようで…。
 そんな考えを断ち切ったのは、エドワードの一声だった。
「まぁ、何にせよ、判断するには早いよな。リンに問い詰めた処で、白を切られるのがオチだろうから、
 情報を集める方法を考えて、行動だな」
 キラリと瞳を輝かせてそう告げたエドワードは、アメストリスに飛び回っていた時の彼そのものだ。
 それに勇気付けられるような気になって、アルフォンスも大きく頷いた。



 それからの日々は、情報集めに奔走する。後宮では、皇子達も皇女達も何事も知らされている様子もなく、
 手がかりになりそうな話は何一つ入ってこなかった。
 リンがエドワードに内密にしている限り、高官や役人達から聞ける筈もないし、
 探っている事がばれるのも拙い。
 そこで考えたのが、塾生の横繋がりからだ。皇宮から出てしまえば、口止めされている効果も薄くなりやすい。
 ラオと同じ私塾生に近付いて、聞き込みをしてみる役は、人当たりの良く、
 ちょくちょく街へと出かけていたアルフォンスが請け負った。
 そして、エドワードはと言うと…。


「はぁ~、何で俺がこんな事を…」
 下働きの人々の声に、耳を傾けていた。要するに盗聴だ。


 皇宮中庭の寂れた場所で、自身が錬金術で作った盗聴器を耳に、深いため息を吐く。
 気まずい気分を抱えながらも、情報を得るには、意外に効果的なのが噂話なのだ。
 現場で働く彼らは、意外に情報通だ。上の者の驕りで、下の者は何も判っていないと思っている。
 が、衣食住の全てを整える彼らを通さずに、準備する事が出来るなどないのだ。
 そして、どの場所でも、彼らは近くで立ち働いている。要するに、理解は出来なくとも、
 話は耳に入れているという事だ。

 が、そんな話が簡単に交わされてる筈も無く、気まずい思いで聞いている話の内容も、日常の話やら、
 上へ不満に、人の悪口、仕事の辛さ等で、聞いているエドワードも気が滅入ってくる。
 何の成果もなく、とぼとぼと部屋に帰る頃には、ぐったりしていても仕方がない。
 エドワードの尊厳の為に言えば、エドワードが盗聴しているのは、プライベートの場所ではなく、
 公共の仕事部屋だ。



 そろそろ日も落ちて随分と立つ、戻らないとマー夫人に不審がられるだろうと、
 腰を上げようと考えていたところに、ヒステリックな声が響いてくる。
「それは使うなと言っておいた筈だろうが!」
「す、すみません!」
 誰かの怒鳴り声に、必死に謝る声が返っている。
 その剣幕の強さのせいか、さっきまで喧噪が激しかった部屋が、水を打ったように静まり返って、
 その様子を窺っているようだった。
「1週間後に来られるお客人達は、それを余りお気に召さないと連絡しといた筈だぞ。
 洸麒様からお調べしたリストを良く見直せ! 国賓を迎える準備と言うのに、不興を買いでもしたら、
 どうなると思うんだ。全員、首が飛ぶぞ! 判ったな!」
 それだけ怒鳴ると、その相手は出て行ったのか、途端にざわめきが戻ってくる。
「全く、上の人間の横暴にも困ったもんだね。リストだとか渡されても、字が読めないもんが大半なんだから、
 仕方ないだろうってもんさ」
「どうにも日が近くなるにつれ、ヒステリーが酷くなってきてて堪ったもんじゃないな」

 そんな愚痴が交わされる中、エドワードは必死に耳を澄ませる。 口々にひそひそと交わされる言葉は、
 聞き取り難かったが、必要な事柄を拾えたのは、大成果だろう。



「へぇー、君はラオ君とも親しかったんだ」
 案内され通された部屋を、失礼の無い程度に珍しげに眺めながら、親しげな口調で話しかけていく。
 他の塾生から教えてもらった、ラオの出身の私塾に出かけたアルフォンスは、人当たりの良さと、
 教えを請う謙虚な態度が気に入られ、私塾の長と話が弾み、塾生出身の1人の部屋を案内して貰ったのだ。
「はい。と言っても、僕は彼のように賢くは無かったですから、
 卒業後、塾のお手伝いをしています」
「そんな事ないよ。さっき拝見させて貰った時も、教え方が上手なんで見習わなくてはと、反省させられた位だよ」
 その後暫く、授業の取り方で話が弾んでいく。


「でも、ラオは本当に出世しました。皇宮の賢者の師弟に入れただけでも凄い事なのに、
 皇帝から任命された訳本作りや、最近は師匠のお手伝いまでしてるそうで」
「そう、彼、訳本手伝ってくれてる以外も、そんなに忙しかったんだ。大変だろうね」
「そうですね。この前も偶然街で会った時に、寝不足だって零してました」
「そうなんだ。彼のように優秀な人でも、手こずるお手伝いって、大切な仕事なんだろうね」
「そうだと思います。
 彼も詳しくは話せないって言ってましたが、親書のお手伝いらしいです」
「親書? それって、彼が手伝うような仕事なのかな?」
 疑うような口調で疑問を口にすると、ラオの名誉を守ろうとして、その青年が話を補足してくる。
「いえ、親書のお手伝いと言っても、彼がしているのは、師匠の調べたい単語を調べているとからしいです」
「そうかぁ、資料集めとかも大変だものね」
 アルフォンスは気の毒そうにそう告げて、切り替わった話に楽しそうに会話を続けて行った。






「兄さん、これって間違いないよね」
 最近の日課になっている自室での情報交換で、アルフォンスも今日の成果をエドワードに告げていた。
「そうだな、後は確認するだけだな」
 力強く頷き返すエドワードの言葉に、「どうやって?」と目を瞬かせて、アルフォンスが訊ねてくる。
「それは勿論、謁見の場に忍び込んでだな」
「忍び込んで…」
 唖然として繰り返すアルフォンスに、エドワードが人の悪い笑みを浮かべて、問い返す。
「俺らに出来ないとでも?」
 その言葉に、アルフォンスが肩を竦め、苦笑して答える。
「出来ないわけないでしょ」
「だろ?」


 それから数日は、計画を実行するまで、行動を控えて、いつもどうりに過ごす。
 それでも、ふとした瞬間に浮かんでくる高揚した気持ちは、2人を浮き立たせるのは、当然だ。
 ここでの暮らしに不満があるわけではない。
 が、ここで暮らし続けることが本意ではないと言うだけなのだ。
 いつか戻る為に交わした約束を、エドワードは決して忘れてはいない。
 忘れずにいたからこそ、待ち続けることが出来たのだから。
 その日が、近付いてきているかも知れないという思いは、急速に望郷の念を膨らませていく。
 戻ったところで、自分達の生きる場所は無くなっているかも知れない。
 それでも、還りを待ち侘びてくれている人達は居る。
 それだけで十分なのだ。
 土地に縋る人も居れば、人との輪を思う人も居る。
 エドワードにしてみれば、案じるしかない場所に居ることより、自分の身が危険や不遇であってでも、
 相手を感じられる傍で居たいと、生きて行きたいと思うから。
 勿論、不安もないわけではない。
 もしかしたら、自分達の期待し過ぎなだけで、そんな事実は無いのかも…とも。
 それでも、1度抱いた望は、確認するまでは簡単に治まりそうも無いのだ。






「兄さん、いよいよ明日だね」
 満面の笑顔でアルフォンスが話しかけてくる。
「そうだな」
 そう返して、エドワードはゆっくりと目を瞑る。
 その日が近付いてくる程、期待と不安の感情の波の起伏が激しくなっている。
 今だって、ギュッと拳を握り締めていないと、指先が震えてしまいそうだ。


 
 そろそろ授業の始まりだと、出かけようとした矢先に、扉がノックされる。
「はい?」
 アルフォンスの問いかけに、扉が静かに開き、その向うに控える人々に、2人とも目を瞠る。
「お迎えに参りました、洸麒様」
「迎え?」
「はい。本日より洸麒様には、奥の院に御住み頂くようにと皇帝のお申し出でございます」
 その言葉に、エドワードはポカンとした表情をし、アルフォンスはサッと顔色が変わる。
「奥の院って…。あそこは、俺が入れるような処じゃないだろ?」
「とんでもございません。洸麒様に尤も相応しい場所になるよう、私共もお整え、誂えさせて頂きました。
 本日より、あちらの宮の主は、洸麒様、ただお一人様でございます」
「どういう事なんだ…?」
 理解に苦しむ話の内容に、エドワードが首を傾げる。
「…まぁ、住むとこは別に何処でも良いんだけどさ。
 じゃあ、弟と準備するから、後で良いのか?」
 当然、アルフォンスも一緒だろうからと、そう聞き返すと、
 話しかけてきていた男は、はっきりと首を横に振る。

 そして…。
「弟君様には、このままこの宮が進呈されます。
 あちらにお移り頂きますは、皇后に成られます洸麒様、御一人でございます」
 その言葉に、兄弟2人は茫然と口を噤む。
「さて、お時間もございません。お早くお渡り頂けますように」
 そう告げられたかと思うと、両脇に控えていた侍女達が、「ご無礼を」の言葉を掛けながら、
 エドワードの手や肩を掴んで促してくる。
「ちょ、ちょっと待てよ! 冗談も程ほどに」
「兄さん!」
 連れ出される兄を追うようにして動こうとしたアルフォンスの前に、衛兵達が立ち塞がる。
 そして、その後ろから先ほどの男が言葉を続けてくる。
「これより1週間の間、洸麒様、望天吼様共々、後宮からお出にはなられませんように。
 これは皇帝の厳命でございます」
 そう厳かに告げ、扉は締め切られた。
「兄さん…」
 その場に残されたアルフォンスは、独り途方に暮れ、立ち尽くしていた。





 その後、エドワードは半場軟禁された状態で居る。
 リンを出せ、理由を話せと叫んでも、典楽長と名乗った男は、明日の夜に皇帝がお渡りになられますので、
 の一点張りで答える様子も無い。他の侍女たちも、口を利いてはいけないとでも言われているのか、
 一言も言葉を発する事も無い。

「ったく、何でこんな手の込んだ悪戯をされなきゃいけないんだ」
 不満や不服は口を付いて出てくるが、不安は別に湧かない。
 それはエドワードのリンへの信頼があるからだ。
 リンにだって本当は判っている筈だ。こんな事位で、エドワードが閉じ込めれるわけが無い事も。
 なら、明日の夜にきっちりと話を付けて貰おうと、割り切って、今の状態を我慢する。
 そんな風にエドワードが悠長に構えるのも、明日の方へと意識が向いてしまっているからでもあるのだろう。




 翌朝、エドワードは自分の認識の甘さを痛感した。

「洸麒様、お早うございます。お目覚めでしょうか?
 湯浴みの準備が整いましたので、ご案内致します」
 から始まり、食事に着替え、果てはお話し相手に等と、周囲に人がひっきりなしにやってくる。
「ちょ、ちょお! 特に用は無いから、独りにしといてくれって」
 そうエドワードが告げても。
「洸麒様をお独りにした等知られれば、私共がお咎めを受けます」
 と返されれば、言葉に詰まる。

 ーーー やばい…、時間が迫ってる… ーーー

 焦りながらも、打破する方策を考え、以前良く使っていた術を思いだす。
「判った…。なら、ちょっと気分が優れないんだ。眠るから、横に控えてて貰えるか」
「御気分が! 殿医様をお呼びして参ります」
 慌てふためく侍女たちに、ただの寝不足だからと宥め、取り合えず寝室へと引っ込む事が出来た。
「ふー。
 じゃあ、やるか」
 小さく手を打ち鳴らして、大量に有る敷物の1部を人型に練成する。それを寝台に寝かせて、
 上掛けをかければ、出来上がりだ。
 で、少々危険だが、この分では回廊などは通れそうも無いから、屋根伝いに進む事にする。
 天井に穴を開けると、そこまでの階段を作り昇って行く。
 晴れた空だった。
 こんな天気を、良く旅先でも仰ぎ見ていた事を思い出す。
 慎重に1歩を踏み出すと、少し先の屋根から錬成光が浮かび上がり、ひょっこりとアルフォンスが顔を出す。
「兄さん! 大丈夫だったんだ」
 安堵の表情のアルフォンスに、当然だと答えて、先を急ぐ。


 数度、ひやりとした思いをしながらも、皇宮の1画へと無事に足を付けた。
 庭の茂みから覗いて窺うと、煌びやかな格好の人々が、整然と広間へと入っていくのが見れた。
 そして、その後に続く人々の格好に、2人の胸が懐かしさで熱くなる。
「兄さん…」
「ああ…」
 湧き上がる感動は、懐かしさからだけではない。
 エドワードは目頭が熱くなるのを堪えながら、じっと懐かしい服装を見続ける。

 ロイは誓った。エドワードとアルフォンスを、必ず戻れるようにしてみせると。
 彼はその約束を守ってくれたのだ。
 待ち続けていた、誓いが成就される時がやってきたのだ。

 静かに深呼吸をし、気持ちを落ち着けてから、ゆっくりと動き出す。
 感傷に浸るのは、後からでも出来る。
 厳重な警護の網を掻い潜るようにして、2人は謁見の間に侵入する。壮大な広間は静まり返っていて、
 話している人間の声だけが、朗々と響き渡っている。
 挨拶の奉上の言葉が読み上げられて、シン国の重鎮達の紹介が続いていく。
 その間も、エドワードもアルフォンスも、訪問者の隊に目が釘付けだった。
 場所のせいで、良く見通せない。
 もう少し前へ、前へと進みそうになる足を必死に堪える。
 そして、聞き慣れていた声が耳に届いてくる。




「皇帝陛下には、御拝謁の許可を頂、誠に有難うございます。
 この度、親善の大使の大役を務めさせて頂きました、ジャン・ハボック中佐です」
 通訳も使わずに話しているのは、リンがアメストリス語を理解できる事を知っているからだろう。
「こちらに、我が国の大総統、ロイ・マスタングより親書を預っております。
 それと、伝言をひとつ」


 ーーー ロイ…、ちゃんと自分の野望を叶えたんだ ーーー
 計画の結果を見届けないまま故郷を出てきてしまったエドワードには、心残りだった1つが解消された。



「武勇は聞き及んでル。 逢う事は無かったが、息災のようで何よりダ。
 まずは長旅ご苦労だっタ。ゆっくりされるよヨい」
 それだけを告げると、退出の意思を示して立ち上がる。
 居並ぶ臣下が深々と頭を下げていく中、ハボックは声を張り上げて伝言を告げる。
「混じりし輝石を、元の場所へお戻し頂けるようにと。
 お護り頂いた恩は、忘れませんと!」
 客人の無礼に、高官たちが色めき立つ。そして、リンはゆっくりと振り返り、
 挑戦的な笑みをハボックに見せる。
「混じった物を無理に取り出す事は、叶ワじ。
 混じりては、その地の色に染まルが、道理でハ?」
 その言葉にもハボックは、飄々とした表情で返す。
「あいつは、染まるほど弱い奴じゃないさ」
 どれだけの汚濁の中でも、その美しさ、輝き、強さは曇ることも、濁ることもなかった。
 それは、エドワード・エルリックを知っている者なら、誰でも判ることだ。



 その言葉に胸打たれながら、エドワードはじっと耐え忍ぶ。
 今、衝動に身を任せれる時じゃない。国家単位の事柄だ、個人の感傷で、
 場をぶち壊す事は許されないのだから。
 謁見が終わり、順番に退出をしていく。ハボック達一同は、案内人に先導されながら、
 用意された棟へと歩いていく。
 エドワードとアルフォンスは頷き合って、大広間から抜け出し、一行の後を追う。





「ったく、一筋縄で行きそうもない奴だよな、あの皇帝は」
 今後の会見やら、話し合い、晩餐の予定を細々と告げられ、漸く部屋に落ち着いて、
 ホッと安堵の息を付いた処だ。
「エドとアルの奴、大丈夫なのかな」
 あの皇帝の返答には、微妙に不安が残る。しかも、どうして2人の姿が見えなかったのだろう?
 ハボックにしてみれば、ここまで来れば逢えると疑っていなかっただけ、疑問が湧いて仕方がない。

「俺らは、今のところ大丈夫だぜ」
 壁から声が聞こえたと驚く間もなく、ひょっこりと姿を現した人物に、ハボックが表情を緩める。
「エド…、それにアルも。
 元気だったようだな」
 そう告げてくるハボックの言葉に返す間もなく、長い腕に巻き込まれるようにして、抱きしめられる。
 鼻を啜りながら、良かったを繰り返すハボックに、2人も子供のようにしがみ付き返した。


 久しぶりの感動の再会にだけ、浸っている時間がない3人は、頭を切り替えて、
 互いの近況を簡潔に伝え合う。
「で、あれは一体どうなってんだ? 俺には良く判らなかったが、
 何かお前らを戻す気が無さそうに思ったんだけどさ」
 さすがに鍛えたハボックでも、ここまでの長旅は身体に酷だったのだろう、
 薄っすらと疲労を滲ませた顔付きで、さっきの謁見でのリンの態度を窺ってくる。
「それが、妙な事になっててさ…」
 言葉を濁すエドワードの代わりに、アルフォンスがはっきりと告げ始める。
「兄さん、今、やばい状態に置かれてるんですよ」
「やばい状態?」
「ええ。昨日いきなり高官の人達が現れて、兄さんは皇后になるって告げて、連れ去って行ったんですよ」
「皇后? それって、確か皇帝の妻だっけ? 何で、エドが?
 ってか、こっちの国では、男の嫁が持てるのか?」
「そんなわけないでしょ! なのに、いきなり皇后にですよ?
 しかも、部屋から1週間出るなって閉じ込められる始末で」
「閉じ込められる?」
 呆気に取られていたハボックも、事の異様さに気づいて、真剣な表情になる。

「おいアル、ちょっとは落ち着けって。冗談に決まってるだろ、あいつの。
 今までも人騒がせな冗談ばかり言ってきたんだ。
 今度も、なんかの余興か、茶番の1つだって」
 暢気なエドワードの言葉に、アルフォンスの柳眉が上がる。
「兄さん! 何、暢気にしてんだよ!
 僕、前々からリンの兄さんへの執着が嫌だったけど、今回の件ではっきりしたよ。
 あいつは兄さんを帰さないつもりだ」
「アル…。何大袈裟な事言ってんだ。
 あいつは、そんな奴じゃないさ」
「そんな奴じゃなきゃ、どんな人間だって言うわけ?
 冗談で皇后宮改築して、そこに閉じ込めるわけないでしょ?
 兄さん、ちょっとは真剣に受け取ってよ、現状を」
 いきりたつアルフォンスを宥めるように、ハボックが割って入ってくる。
「アル、心配する気は判るから、ちょっと落ち着け。な?
 今、頭に血を昇らせてる場合じゃないだろうが。

 それにエド、人を信じるのは良いが、客観的に見るのを怠ると痛い目、見るぜ?」
「…判ってる。
 どっちにしろ、今日来るって言ってたから、ちゃんと話を聞いてみるともりだ」
「ああ、そうしろ。こっちの国の奴らの出方が判らないと、今後の俺らの行動も決められないからな」
 そのハボックの言葉に、エドワードが聞き返す。
「今後の行動?」
 不思議そうに聞き返すエドワードに、ハボックの表情が引き締められる。
「ああ。笑って見送ってくれるなら、それで良し。
 もし、アルの言う通りなら…、敵陣を突き抜けて連れ出す段取りが必要だからな」
「中佐…」
「…実はな、そういう事も想定して、近くまで小隊を連れて配置してあるんだ」
 その言葉には、兄弟が2人とも目を丸くして驚く。
「まぁ、それは総統の配慮だったんだが、考え過ぎってわけでもなかったわけだ」
「ロイの…」
「ああ。でも今みたいな事を想定してってわけじゃなくて、優秀な人材を手放さない事も有り得るって理由だけどな」
 ハボックは胸ポケットから、よれよれのタバコを取り出し、嬉しそうに吸い出す。
「どちらにしても、エドはエドなりに結末をつけてこい。
 俺らの使命は決まってんだから。
 今回の第一優先事項は、お前らを無事に国に連れ戻す事だからな」
 そう笑って告げながら、二人の頭を軽く撫ぜる。
「うん…、サンキュー」
 危険を覚悟して来てくれたハボックの気持ちの強さが、嬉しかった。
 そして、自分たちを連れ戻す事が第一だと言い切ってくれた、ロイの意思が、泣きたいほど嬉しかった。
 その為には、エドワードはリンと話し合い、決別を告げなくてはならない。それは、自分のすべき事だ。
「判った。きっちりと話してくる」
「ああ、そうしろ。お前の友人で、お前が信を置いた相手だ。
 どんな結果が飛び出してこようが、しっかりと受け止めて、納得のいく答えを出して来い」
 兄貴分の助言に、エドワードは素直に頷き返した。
「それとな、これは総統からの命令だ」
「命令?」
「ああ。
 『エドワード、もう国の為にと犠牲になる事は必要ない。
  今の私達の国には、そんなものは必要ないんだ。
  今度はこの国で、一緒に幸せになろう』だとさ」
 にやにやと笑いながら告げられた言葉に、エドワードは耳まで真っ赤になっている。
「解ったか? 国だ、総統の為だとか、もうお前が考える必要はない。    
 もう終わったんだ、エド。
 これからは、自分の為にだけ頑張ればいい」
 その言葉に、声も出せずに小さく頷くしか、涙を零さない方法は判らなかった。
 その後、また明晩にでも来ると言い置いて、エドワードとアルフォンスは戻って行った。

 一抹の不安と共にそれを見送りながら、ハボックは心に強く刻む。
 ーーー 何があっても、無事に連れ帰ってみせると ーーー




  ↓面白かったら、ポチッとな。
拍手



© Rakuten Group, Inc.